愛娘ビー子ちゃん
A page of diary
(2006年9月17日)
 カバーを被って車庫でじっとしていることが多くなったのは夏の暑さのせいもあるが、以前のように未明から起き出して出掛けることがなくなったせいもある。暑い季節でビートの楽しいのは未明から午前中まで。エアコンをはずしてしまったためもあるが、仮にエアコンが効いたとしても、効かせて走るのはさほど楽しいことではない。
 ビートは非力だし、安心感もないしで、遠出そのものも気楽とはいい難く、いわゆる人馬一体感が強いため、車まかせで疲れ知らずとはいかない。しかしそれこそがビートの楽しさであって、代用品のきかないところでもある。ここまで楽しい車は恐らく他には存在しないことだろうと、大して車を知らずともある程度想像はつく。いや、これを車と括ることはできないはずだった。三十年も昔ならいざ知らず、今の時代にあってこれを「車」と呼ぶにはあまりに非日常的にすぎる。「車」と呼ばれる車両はいつの時代にもそこで最も日常的でなければならないからだ。「日常的」とは社会が基準とするところであって個々人の生活基準ではないから、ビート乗りがいくら毎日乗ったとしても、社会から「車」と呼ばれるステイタスにはない、それが現代におけるビートだということになる。
 そんな非日常を日常としてこそ、真のオーナーなのだろう。以前は確かに毎日通勤に使い、休日にもほとんどビートにばかり乗っていた。それがあまり乗れなくなったきっかけは、大事にすればするだけ長く所有できると気付いたことと、普通車最軽量780kgのミラジーノ1000に乗るようになったことだった。ビートに乗らなくても軽くてそこそこ楽しいし、ビートほど頑張らなくても余裕で走るし、乗れば乗っただけビートの寿命も延びる。つまり理想的な「代車」が手に入ったというわけだ。
 しかしそんな楽しみ方というのもありなのかと、改めて考えると何だかどこか間違っているようにも思えるのだが、まあ、あまり深く考えることはやめにして、本当に乗りたいときだけ乗るビートを乗ったとき存分に楽しめればいいのではないかとも思う。久々に乗ったときの新鮮さというのもまたいいものなのだから。
© 2006 Akira Okitsu & Jomon.net
e-mail